エルヴィラの過ち
エルヴィラというキャラクターに共感しがちな方には多少辛辣な印象になる、かもしれません…。
そもそも、結婚したのかしてないのか
エルヴィラがドン・ルイに訴えるとき「私たちは結婚したはずなのです」という曖昧な表現になっていました。これは、、?と悩むところですね。
そもそもドン・ジュアンがエルヴィラを選んだ、目をつけたのは彼女が修道女であったから。それ以上でもないしそれ以下でもないと私は思っています。修道女とはそなわち神の妻たる存在です。
つまりエルヴィラは神の妻たる聖なる結婚を破棄してドン・ジュアンのもとに走ったことになります。そういう意味で彼女もまた過ちを犯した存在であるし、罪がないわけではありません。エルヴィラもまた罪を負った存在なのです。
聖なる結婚という言葉を使いましたが、「結婚」という儀式は今日から想像する「共生する」イメージだけではなく、もっと宗教的なニュアンスがあったはずです。
そして、ドン・ジュアンは神の存在を否定するために生きているような男です。ですから、彼がエルヴィラを選んだのも、「彼女が修道女、神に仕える身」であった、それが最大の理由である気がするのです。
そして思惑通りエルヴィラは彼を愛してしまった。ドン・ジュアンによる神への復讐は見事成功したわけです。そこまではよかったが、エルヴィラは修道女としての務めを棄ててしまった。ドン・ジュアンがエルヴィラを選んだのは彼女が修道女であったからであり、彼女が修道女でなくなったときから、彼女と結婚し続ける理由もまた消えたのではないかと思います。
なので、私の持論?では、結婚は完遂した。じゃないと神への復讐が完成しない、からです。。
私の夫ですから、と言う。
終盤、罪を告白して悔いるエルヴィラは、修道院に戻ることは叶わなくても、そのふるまいは以前と同じ修道女、神の妻にふさわしい身のふるまいに戻っているようです。
ライバルではあるけれど
エルヴィラとマリア。この二人は対なのではないかなーと秘かに思っています。