引っかかりポイント②
ルイ父の歌
息子よ 分かり合える日が来るのならば
例えこの目を差し出しても 惜しくはない
代償として目を差し出す…思い浮かんだのは同害報復の原理です。息子の目が視えるようになるならば、代償として自分の目を差し出してもよい、ということかな。
*目には目を、歯には歯を、というやつです。
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Pourquoi le bruit ?の歌詞
誰を愛して 生きればいい
人を信じる 神にひざまずく
目の前には二つの道だけ
罰を選ぶか 罪を選ぶか
罪と罰、ここがわかるようでよくわからない…箇所なのかもしれません。
罰を受ける=神に背いた贖いとして=その贖いを持って神へと還る
罪=神に背いている状態=罪を抱えたまま人を信じて生きる
むむ、がんばって結びつけてみたけど、逆かもしれない。どちらでも結び付けられる。
そもそも罪=原罪のことです。神から離れている、背いている状態が罪であると規定されています。
この解釈も正しいかどうか怪しいのですが、要は
人を信じる? or 神にひざまずく どっち??
っていう選択肢のことだと把握しておけば大きく違うことはないと思います。
要は、人 or 神 どちらを優先するか?っていう…
一神教では絶対問答無用で 神>人 です。
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俺の剣が憎いんだろう
これも不思議ですよね。俺が憎いんだろうではなく、「俺の剣が」です。
これを聞いて調べた結果以下にぶち当たりました。
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
解釈は、検索すれば色々出てくると思います。
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鏡から見つめ返すのは ひとり ただひとりだけ
「ひとり」の中の一節ですけれども、考え付いた結果をメモしておいて今回は終わりにします。
鏡から見つめ返すのは ひとり ただひとりだけ
鏡というのは自分を導いてくれるもの。それはただ「ひとり」だけ。絶対的。ただし、それは見る人によって見え方が変わる。まるで鏡の中に自分を見るように、わたし自身を映し出す。だから、「ひとり」の見え方はのぞき込む人それぞれで違うのかも。そういう意味で【鏡】である。
これが私が考えてみたこの詞の解釈です。どうでしょう???