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視えないものをみる

Don Juan についての考察もどき

媒介する”しずく”

「彼の汗に濡れるだけであなたを忘れられなくなった」と歌われるが、そんなことはほんとうにあるのだろうか。そう考えてみて、媚薬でも汗に含まれてるの?とか、汗って表現なんだか不潔…と通常の感覚で考えてしまうのはちょっと待って欲しい。

 

 

ここで言う「汗」が、(実際には共に過ごしたのは僅かな期間であるにも関わらず)女たちへの身体へ彼の実体を引き止め、彼への”愛”を燃え上がらせる物質として作用していること。どういうことかと言うと、彼は一人しか存在しないのにも関わらず、その汗を彼女らに遺すことによって、多数の女から愛を捧げられる作用をもたらしていること。(汗を受けたことで、まるで傷のように彼女らを苦しめているということ)

 

”汗”っていうとなんだかなーなイメージがつきまとうが、要は彼がそういう物質を彼女らに遺すことによって、女らは"たった一晩"にすぎないのに、彼を忘れられなくなっているという点。

逆に言えば、「愛」を引っ掴んで手元に縛り付けておくことは困難である。愛は目に見えず、触ることもできない。しかし、女らは、彼の”汗”を自身に、または物質に染み込ませることで、確かに彼の愛がここにあった、と知覚する拠り所にしている。
*現実で、誰かの熱狂的ファンで、例えばライブ等でスターの汗の染みたタオル等をもらうことができたならば、それを洗わずに大切に保存しておくだろう。そういうこと。

 

 

何故このような話を唐突にするのかというと、この考え方がラストシーン付近の解釈でも役に立つのではないか、と思ったからである。

ラファエルの剣を受けてからモノローグをジュアンは歌うけれども、その途中彼に赤い薔薇が降り注ぐ。それは膝元に赤い血だまりを作る。見る人によっていくらでも違う風景に見えるとは思う。

それは単なる赤い薔薇であるけれども、彼の内側から流れ出した苦悩であり、愛情であり、あらゆる感情のすべて。と同時に、受けた傷からあふれ出す彼の血液、臓物そのものであるとも言える。

彼の内面的に秘めているものと、物質的にあふれ出るもの、その両方を薔薇は可視化して見せてくれている。

 

そしてその薔薇がどうなるかというと、それは再度分配され、全ての人に行きわたる。彼の感情と、それから【彼自身の肉体を、彼が確かに生きていたという物質的な証拠】を、人々は受け取る。そしてそれを大切にする。

女たちが汗に濡れて、彼を忘れることができなくなったように。再分配される薔薇は、彼の血、彼の肉体、彼が確かに生きていたという証拠そのものであるといえる。

 

何故このような少し気味が悪い話をするのかというと、舞台上で描かれている「いのち、生命」苦悩、苦しみは決して概念的なものだけではなく、必ず物質、肉体を伴うものであるということ。物質を伴うことで、本来見えず触れることもできないそれを確かに知覚することができているということ。

 

だから、精神の苦悩と、肉体の苦しみはセットで描かれているはず。

 

そして、物質的な”それ”、残遺物の何が優れているかというと、本人から離れてひとり歩きする点。その物質をありがたがり、より「愛」を増幅させるようになるのである。本人の存在有無に関係なく。

 

(逆に、物質に依りすぎて肝心の"中身"がおざなりになってしまう危険性も多いにある。例えばマリアが自身の作である彫像を破壊すること、それは偶像崇拝の禁止であるとか、そういう概念の暗示にも思えるのだが… この話はもうちょっと考えたい) 

 

 

 

 作中では、二項対立、二つの要素の対比がとても多くでてくる。ので、ここでは精神的なものと肉体的なもの即物的なものと観念的なもの、両方の要素がそこにあるな、と思って見るとより面白いかもしれないです。

 

 と言うか、次に説明したいことの布石になっています…。