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視えないものをみる

Don Juan についての考察もどき

愛という呪い(ドン・ジュアン)

*気づく前に書いた文章
*KAATの感想です。

 

呪いを考えるときに、「一番短い、身近な呪(しゅ)として「名前」」を思います。夢枕獏さんの『陰陽師』において「名前はこの世で一番短い呪」という言葉が出てくるからですが。

父ドン・ルイ・テノリオも「お前が私の名を継ぐとき」と言い、ドン・ジュアンは「俺の名前を望むならば刻み付けてやろう」というようなことを言います。名前はそれだけで定義し、縛る力を持っていると言えます。

「呪(しゅ)」という字面では不吉なイメージですが、よいことも悪いこともどちらもある、単純に物事を縛る、そこに留めるちから、そういうイメージです。

 

 

作中ではあらゆる情景が、これも「あい」の為せる結果であると示されます。

お前だけがそこに、いない…?

愛を持たないドン・ジュアンが愛を得、理解するストーリーです。旅路の果てにどうやら彼はわかったらしいのです。「生きるために俺は死ぬ」?なんとなくわかりそうで煙にまかれた気分。

 

舞台上のセット機構に目をやりますと、円形が特徴的。その上を移動するそれは、壁にもなれば衝立にもなり登場人物の移動にも使える。なんて合理的。

 

ラストに主役が死ぬことはあらかじめ知っていました。血を思わせる赤、薔薇。物事の終わり。何事も終わりは来る。

 

その物語の中でさらりと述べられた、戦地へ赴く恋人を待つ、女が子供をさずかった描写に「お?」と思いました。なんとなく無意味なセリフは入れないだろうという先入観があるからです。(歌歌歌の連続の中の、ほんのわずかなセリフです)

 

 

生まれ落ちたその瞬間から愛の呪いの中にあり、誰も逃げることはできない。

しかし彼は母親から与えられるべきものを受けなかった。

 *その親子関係について読み取りたかったのですが、本当に僅かか、むしろ触れられていません。

ただ、父と息子は同じワードを言います。「エゴイスト」

本質は似た者同士なのかも。

*同じ言葉を同じ文脈で口にする…正確には双方が相手を「エゴイストだ」と呼ぶ。そのことがなんと皮肉にも親子の相似を証明している…。当たり前すぎて気づきもしなかった。

 

人にひどいことをあえてするとしたら、その心は傷つかないのか?

心を冷たくしているから、酷いことをできるのか。

では心を冷たくすることを、どうやって彼は学んだのか。

 

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彼はぼろぼろ。彼に無造作に放り投げられる赤いバラ。それを拾い集めて胸に抱く。

それが目に焼き付いています。

けれどその赤は彼が初めて流した赤い血、生きている証しのようで、初めて生きているという実感を得られた瞬間ではなかったか と。

彼は生きる術…目的を持たず、感情を持たず、真には快楽を知らず(快いこと、楽しいこと)、涙を知らず。

冷え冷えとした心、何も感じない心、それがまた再び永遠と(砂を噛むような日々は長く長く感じられそう)続くのならば、それには耐えられない…

また、ご丁寧に「決闘はやめろ、戦えばお前が勝ってしまう、そして彼女の愛を失う」と再三警告されます。

彼女の愛のない時間に意味はない。

幸せな思い出を抱いて、彼女の記憶の中に眠りたい

 

ということで、「知らなかった頃にはもう戻れない」記憶はただひたすら積み重なっていくだけのもの、ということ。 それから時間は不可逆であるということ。

 

一人の命はた易く消える。儚い。けれどまたどこかで新しい命が生まれる。いつもの、いつもの繰り返し。

 

その繰り返しが、舞台の円形セットを見て「ここには逃げ場がない」と思いました。終わりと思ってもそれは真には終わりではなく、また何かが始まる。

何と言ったらいいか。命の連鎖、あらゆる事がらが循環している。

人はひとから生まれそして死ぬ。そのやり取りから逃れることはできない。

それらのやりとりすべてひっくるめて【愛の呪い】だと感じました。だから誰もそれから逃れることはできない。

あの舞台上のセット、円環は輪廻そのものに見えて。あぁ怖いなと思いました。

 

だから、女から生を受けたにも関わらず【母】を持たぬ男。それを憎悪しその当たり前の繰り返しの外にいる男。彼は人としての優しさを唾棄し、母となれるだろう女すべてを軽蔑し。友情を嘲笑し。生命の連鎖を否定し。*あれだけ女を相手にしながら、誰も孕まないのは…?考えすぎですね。

何より己を呪い、まるで冷たい石のように頑なに封じ込め。

 

*神への信仰がある文化であれば、神に背いたことへの懺悔、贖罪といった言葉で片付いてしまうのですが、日本ですとそうはいかず。原因をより個人的な事由におかないと、なかなか呑み込み難い。

 

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ヒドイんだけどかわいそう。その乱暴な行為の裏の悲しい、泣きたい気持ちを読み取ってしまって。

そういう泣きたい悲しい気持ちに同調してしまって、泣かないで、、となっている人は多いはず。

彼女がこんなに舞台上で弱みを(役柄上とはいえ)曝け出したのは初めてではないでしょうか?